皆様こんにちは、はまさんすーです
今回ご紹介する映画は
『ミスト』
皆さんはこの「ミスト」という映画をご存知でしょうか?
原作はアメリカの有名な小説家、スティーブン・キング。
監督はこれまた有名な映画監督、フランク・ダラボン。
このタッグで有名な映画といえば皆さんご存知のあの感動大作、
「ショーシャンクの空に」と「グリーンマイル」です。
この二人が組んだからにはまた感動するようなドラマが見られるだろうな、
と思いきや!
こちらの作品はかなりの物議を醸すホラー作品となっております。
のどかな湖畔の田舎に住む主人公の男、デヴィッド。
彼には妻と息子の二人の家族がいた。
ある日、彼の住む地域一帯を激しい嵐が襲う。
地元のスーパーマーケットに買い出しに出かける。
買い物をしていると店外で救急車やパトカーのサイレンが鳴り始める。
さらに、鼻血を流した男が店内に逃げ込んで来るなり、
「霧の中に何かがいる!」
と騒ぎ立てる。
いつの間にかスーパーマーケットの辺り一帯が濃い霧に包まれていたのだ。
と、同時にスーパーは激しい揺れに襲われ、不安にかられた人々はスーパーの中へ閉じこもるのだった。
ここからの展開は悲惨の一語です。
外へ様子を見に行った人たちは一人も帰還せず、その一方で店内を探索する主人公たちは未知の生物に襲われる。
しかし、その話を誰も信用してくれない。
段々と人々の神経はすり減り、恐慌状態へと陥っていく。
こうして、この映画は最悪の展開へと全速力で疾走していくのです。
この映画のキーポイントとして「信仰心」、そして「勇気」という言葉が重要な意味を帯びていきます。
日本の人々の中でも困難な状況に陥った時に神に祈る人はいるでしょうが、より宗教が身近にあるアメリカではその割合は増していくでしょう。
困ったときにより大きな力に祈りを捧げる行為は人として当然の行為ですし、極限状況下で精神を正常に保つことに大きく寄与することでしょう。
ここで大事なのは未知の恐怖に遭遇した時に行きすぎた信仰心がどう作用するかということなのです。
篤い信仰を持った人は得てして扇動者となります。
神の御名において自身の信仰と行動を正当化してしまい。それを他者へ強要し、集団をコントロールしようとしてしまうのです。
極限状況下では人々は何が正しいのかわかりません。
そんな人々は強い言葉を放つ扇動者にしばしば盲目的に従ってしまうものなのです。
それが本当に正しい行いであればいいのですが、間違っていたときには・・・。
これは宗教に疎い日本でも起こりうるのです。
信仰心というのは何も神に限った話ではありません。
科学や、常識に囚われすぎる人というのはどこにでも現れるのです。
あなたもネズミたちを集団自殺へと追い込んだハーメルンの笛吹のような扇動者にいつの間にかなっているのかもしれません。
またそんな扇動者に操られないように、くれぐれもご注意を。
そしてそんな状況下を打破するには何が必要か、
そう「勇気」です。
理不尽な状況にNOと突きつける勇気。
そして状況を克服するために行動する勇気。
それらがなければ人は現状に流され、何も決定権を持たない自分の生き死にを自分で決められない存在へとなってしまうことでしょう。
しかし、勇気というものは裏を返せば「蛮勇」となってしまいます。
無謀な状況へと自ら身を投げ、破滅へと進んでしまうのです。
正しい判断力と勇気を持ち、英雄となるのか、危うき道を蛮勇を持って突き進み、滅亡に身を焦がすのか、
どういう結末が待ち受けるかは神様が振ったサイコロの目を待つしかありません。
物事には全て表と裏があり、良い面と悪い面が有ります。
この「ミスト」という映画はそんな場面を常に突きつけてくる映画です。
これから見るという方は強い覚悟を持ってご覧下さい。
ここからネタバレ注意!
というわけで、主人公やスーパーに残された人々の行動は
すべて裏面に出てしまいます。
この災厄は神が我々に与えた試練なのだと声高に叫び、
これを乗り越えるためには生贄が必要だとかいい出す狂信者ババアが出現し、
寄る辺なくそれに縋り始めた集団によって最悪なミサが始まってしまいます。
このような状況に恐れを抱き、耐えきれられなくなったデヴィッドとそれに従う数名は物資を集め、脱出を計画します。
犠牲を払いながらも彼らは車に乗り込み脱出を果たすのですが、濃霧に囲まれた周辺は醜悪な生物が跋扈し、死と絶望の匂いが充満していました。
車を走らせども走らせども事態は好転せず、ついにはガソリンも尽きてしまいます。

手元に残ったのは数発の弾丸が入った拳銃。
このまま車中で座して死を待つか、化け物に喰われるぐらいなら自ら誇りある死を選ぶか、究極の二択が主人公たちに突きつけられます。
主人公たち5人に対して残された弾丸は4発。
デヴィッドは他の4人に拳銃を使わせ、残った自分は車外に自らを晒し、
怪物に喰われる覚悟を決めます。
果たして、自分の息子すらも死に追いやった彼が霧に踊り出し、自らの身を捧げた瞬間、霧の奥から武装した軍のジープが救助にやってきたのです。
次々と霧の奥から現れる軍用トラック。その荷台には救助された人々が。
そしてそれを呆然とした面持ちで見つめるデヴィッド。
荷台に乗っている人々の中には、物語の序盤で自分の子供を救うために
無謀にも霧の中へと走り出した女性や、スーパーに残った人々まで・・・。
こうしてこの物語は結末を迎えました。
あなたはこの映画を見てどのような感想を得ましたか?
誰もがデヴィッドになり得るし、誰もが狂信者になり得ます。
運が悪かったの一言で終わらすこともできます。
極限状況下ではあらゆる常識やモラルが紙くずとなり、
正しい判断を下すことが難しくなります。
この物語はデヴィッドの視点から描かれ、彼の勇気を持った
行いは不幸にも全て裏目となってしまいます。
普通の物語ならば彼は不幸な脇役の一人で、
蛮勇かと思われた行動を取った女性が主人公となるでしょう。
視点の違いで物語は全く違う表情を持つのです。
この物語を後味の悪いバッドエンド映画だと受け取るか、
災害時の人間の脆さ、儚さを表した映画と取るかはアナタ次第です。
私は正直、もう少し救いをくれよ!という思いです(笑)
しかし、そんな感情をもたらすのもこの映画の一つの魅力ということでしょう。
この映画を見終わったあなたの心にもきっと晴れない霧がかかっていることでしょう。
その奥にこそあなたの本性が隠れているのではないのでしょうか。
それでは、また。
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