映画

『横道世之介』

皆様こんにちは、はまさんすーです

今回ご紹介するのは

『横道世之介』です

「横道世之介」は2009年に出版された、バブル期の東京を舞台にした吉田修一の同名小説を実写映画化したものです。

小説の方は2010年度柴田錬三郎賞受賞し、また同年度の本屋大賞3位に入賞し、2013年に実写化されました。

監督は「南極料理人」で一躍脚光を浴びた沖田修一さん、そして主演の横道世之介役に高良健吾さん。

他にも、ヒロインの与謝野祥子役に吉高由里子さんや、友人役に池松壮亮さん、綾野剛さんなど、脇を固める人たちも豪華です。

あと、アジアンカンフージェネレーションの主題歌「今を生きて」がとても良いです。

また、原作者の吉田修一さんは、「パレード」で山本周五郎賞、短編集の「パークライフ」で芥川賞受賞するなど、

純文学と大衆文学の賞をあわせて受賞したことで話題になりました。

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あらすじ

1987年に長崎から大学進学のために上京してきた横道世之介は、とてもお人好しな性格をしていた。流されやすく、絆されやすい。
どこにでもいるようだが、こんなやつは他のどこにもいないような、そんな不思議な人間だった。

そんな性格が災いしてか、彼は大学サークルの強引な勧誘活動によって、流されるままにサンバサークルへと入会してしまう。

そして彼は、サークルやゼミなどの大学生活、アルバイトや、旅行、遊びなどといった人生経験を経て、

様々な人と出会い、別れ、恋をし、恋に破れていく。

そして出会った人みんなの心の片隅に横道世之介との思い出が青春時代の淡い思い出として残っていくのだった。

私は、この作品は邦画の魅力が非常に詰まったとても素敵な作品だと思います。

取り立てて大きな事件も起きなければ、ドラマチックな場面もそんなに無い。

アクションや殺陣、爆発があるわけでもない。ホラーやサスペンスがあるわけでもない。

それなのに面白い。

日本人だからこの面白さがわかるんだ。日本人にしかこの良さはわからない。

なんて傲慢なことはいいませんが、なにか日本人の琴線に触れるストーリーテリングというか、筆致を感じます。

似たような映画、といいますと、巨匠になってしまいますが、真っ先に小津安二郎作品を思い起こしてしまいます。

かの巨匠も、淡々とした日常描写を、ロングショットの定点カメラでじーっと撮影することによって、

レンズ越し、フィルム越しに、切り取られた私達人間の生活の悲哀や、小さな幸せをつぶさに表現していたのですが、

この映画からもそれに近いものを感じました。

日本人の生活を描写しながら、どこか普遍的な情動を呼び起こさせるその手腕は、素晴らしいものがあります。

まぁ、極論を言ってしまえば、私が淡々としたものが好きなんですよね。淡々としているのに面白いものが。

淡々としているだけじゃだめですよ?淡々としているのに面白い。それが大事なんです。

私達が画面に釘付けになる要素には色々なものがあります。

ハラハラとするようなサスペンス、ワクワクするようなアクション、ドキドキするようなドラマ。謎が謎を呼ぶミステリー。

いい映画というものはそれらの要素をミックスさせたり、あるいは特化させたりしているものです。

ハリウッド映画などはこれらの要素をふんだんに詰め込んだ映画をたくさん作って人々を魅了しているのですが、

同じような世界観、舞台を使ってしまうと、いわゆるテンプレと呼ばれ、同じパターンはもう飽きたと言われてしまいます。

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そして、もう一つ、私達の視線が画面に釘付けになってしまう、大きな要因があります。

それは、「キャラクター」です。

魅力的なキャラクターがいればただそれだけで画面が持つのです。

こいつはこれからどうなってしまうのだろう、なにを思い、なにを起こしていくのだろう。と思わせることができるのです。

みなさんも、好きな人がいたら目で追ってしまいますよね。好きな俳優、女優が出てるだけでいくらか映画が面白く感じてしまいますよね。

それと同じことが作中のキャラクター描写にも言えるのです。

スパイダーマンやアベンジャーズなども同じように、大衆に愛されるキャラクターができているからこそ

あんなにも面白く感じ、長く続いているのです。

愛されるキャラクターさえできてしまえば、世界観や舞台を変えるだけで、彼らの活躍から目が離せなくなるのです。

この「横道世之介」も同じように愛されるキャラクターの創造に成功しています。

最初はなんだか変なやつだった横道世之介が、映画を見ているうちに、だんだんと気になり始め、

最終的には、彼の持つ不思議な魅力に私達は囚われてしまうのです。

人好きのする彼の笑顔、偏見のない彼の言動、彼の持つ純真さ、純粋さにいつの間にか惹き込まれていってしまうのです。

彼を演じる高良健吾さんはそんな彼の魅力を十全に表現し、もはや彼こそが横道世之介そのものだと思わせてくれます。

そしてそんな彼の人生を追体験するこの映画には、沖田監督の淡々とした情景描写がとてもマッチしているのです。

もし、過剰な演出であったならば、彼のリアリティが損なわれてしまい、彼の持つ魅力の一つである、

本当にこの世界のどこかにいそう、私達の隣りにいそうな感じが減じてしまっていたことでしょう。

「横道世之介」と言う映画は、バブル期のある青年の青春とその人生を、ある時は彼自身の視点から、ある時は周りの友人、知人の視点から描写した作品です。

160分と少々長めで、世界を揺るがすような事件も起こらない緩いドラマなのですが、

この映画を見終わった頃にはあなたは、「横道世之介」という大切な友人と出会い、そして別れていく。そんな感覚を覚えていることでしょう。そんなこの映画のキャッチコピーは、

「出会えたことが、うれしくて、可笑しくて、そして、寂しい――。」

です。

ここからネタバレ注意!

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淡々とした映画で、そんなサスペンスもないのでそれほどネタバレすることもないのですが、
最後の最後、大学を卒業した横道世之介は戦場カメラマンになったらしいことが彼の友人たちの反応や、噂話から明かされていきます。

そして、その彼らの言動から、恐らく彼が亡くなったらしいことが推察されます。

これにはやはりショックを受けましたね。物語の中で、もしかしたらそうなるんじゃないかなと少しずつ感じ始めてはいたのですが、

作中で暗示されるのには辛いものがありました。

横道世之介が出会ったいろんな人々が彼のことを思いながら物語は終わっていくのですが、

ここにきて最大級に今までの淡々とした描写がボディブローのように効いてくるのです。

なんだか本当に友人の一人をいつの間にかなくしてしまったかのような気持ちになりました。

私にとって、「横道世之介」のような存在はいるのか、また、私は誰かにとって「横道世之介」のような存在になっているのか。

そんな事を考えさせてくれる映画でした。

あなたには、「あいつ今何してるかなあ?」と思う人はいますか?

それではまたお会いしましょう。